糸島芸農の舞台 糸島

歴史×糸島

九州北部に位置し、東に福岡市、西に唐津市に挟まれた「糸島」は、海峡を挟んで朝鮮半島や中国大陸と近く、古くから大陸との窓口として繁栄してきた。
糸島は、大きく分けて二つの地域に分けられ、玄界灘に突き出し、平野部が少なく低い山が点在する半島の「志摩」地域と、井原山を最高峰とし、雷山や浮嶽など900m級の山々が屏風のようにとり囲み、平野を擁する「怡土」である。この「怡土」と「志摩」の二つの地名は、奈良時代に成立したとされ、明治になってこの二つが合わさって「糸島郡」と呼ばれるようになった。

古代の糸島半島
特に、弥生時代中期頃には、古代国家「伊都国」の王都が存在し、邪馬台国の女王卑弥呼よりももっと昔から代々王が治め、数多くの銅鏡や装身具、朝鮮半島や中国、日本各地と交易してもたらされた数々の物が多く発見されている。

このような歴史的にも重要な地域で「糸島芸農」はさまざまなプロジェクトを展開している。

二丈岳山頂より糸島半島を西側より俯瞰
特に、今回中心となった二丈一貴山、深江地区は、西に深江湾と北に加布里湾という静かな湾を控え、深江地区には蔵米の津出し港ともなった深江港、そして、街道にそった場所には宿場町である深江宿と漁村がある。南には標高約700mの二丈岳を中心とした山々が連なる。山と海に挟まれた広大な平野では、春の麦、秋の稲が一面に広がり、山、海、里山、町場、農村、漁村が非常に狭い範囲に凝縮された場所である。この写真は、二丈岳山頂より糸島半島を西側より俯瞰したものである。
二丈岳は、糸島市一貴山集落の南東に聳え、標高711mの山である。山頂には、戦国時代、深江氏の居城二丈岳城が存在する。山頂には国見岩をはじめとする巨石がいくつもあり、そこから眺める糸島の風景は、まさに絶景、眼下に深江の町や糸島芸農2012のメイン会場となった松末の広大な平野、その先には加布里湾や志摩の山々が望める。糸島半島はもとより唐津や壱岐までも一望できるまさに天空の城である。

タイトルとURLをコピーしました